先日、新宿武蔵野館で映画『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』を観てきたのでありました。情報を知った時は、なんだよー、こんなネタの映画やっているならもっと早く俺に教えてよ、的な感じでしたが、まあ上映期間が終了する前に知ることができてよかったよかった。思ったよりお客さんは入っていたようでした。
どんなネタの映画かというと、第二次大戦中、ナチス占領下のチェコスロバキア、ことベーメン・メーレン保護領の統治者であったラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦である、「エンスラポイド作戦」を描いたチェコ・イギリス・フランス合作の映画なわけです。
エンスラポイド作戦(エンスラポイドさくせん、Operation Anthropoid)は、第二次世界大戦中、大英帝国政府とチェコスロバキア駐英亡命政府により計画された、ナチス・ドイツのベーメン・メーレン保護領(チェコ)の統治者ラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦のコードネームである。日本語では、「類人猿作戦」などとも訳される。ハイドリヒは、ナチスの秘密警察を束ねる国家保安本部の長官であり、ユダヤ人や他の人種の虐殺に対する「ユダヤ人問題の最終的解決」(ナチスはユダヤ人や少数民族の絶滅政策のことを婉曲的に「最終的解決」と称していた)を行うナチスの主要計画遂行者であった。
(出典:エンスラポイド作戦 - Wikipedia)
結局暗殺は成功するのですが、ナチスの報復は凄惨で、ほぼ無関係のチェコ人13,000人が殺され、プラハ近郊の村が見せしめに2つ消滅させられたのだけれども、これでも軍需物資の工業生産などへの影響を考えてかなり控えめに殺した結果らしいからね。結局この事件を契機として、ミュンヘン協定の破棄と戦後のチェコスロバキアの復活をやっとイギリスは宣言するんだけれども、そもそもどうしてチェコがそんな羽目になったかと言えば、そのミュンヘン会談でそのイギリスに積極的に見捨てられたことが大きな原因なわけで…なんか色々切ない。
このあたりの歴史ってのは、国が弱いというのはそういうことなんだよ、ということではあるんだけど、ほんと、たまらんなぁ。敵には簡単に蹂躙されるし、味方だと信じてる相手にもあっさり売られる、そしてもう一度味方になってほしければどんな犠牲を払っても媚びなければならない…。昨今の世界情勢とか鑑みるに色々と複雑な気分になるわけです。
ともあれ、映画としての出来はと言うと…とても良かった! 色々と脚色はあるんだろうけれども、かなり史実に忠実に描かれていたんじゃないかな?
物語は、チェコスロバキア亡命軍から選ばれた兵士たちがパラシュートでプラハ近郊に潜入するとところから始まるんだけれども、地元の反政府勢力の人たちは、この暗殺計画を実行した場合に、チェコスロバキアが消滅させられる規模の報復を想定して反対します。映画の一観客としては、協力者やその周りの人々が出てくる毎に、ああ、この人も不幸な末路をたどるのだろうな…と思って悲しくなってしまいます。そして彼らと交流していくうちに、潜入した亡命軍兵士も、その意義に疑問を感じ、「チェコスロバキア亡命政府がきっとこの無謀な計画を中止してくれる」ことを願うようにもなっていくのです。
しかし亡命政府にとっては、チェコにおいて、ナチスによる反政府勢力の切り崩しがかなり成功していたため、占領に対する大きな抵抗運動が起きていないことから、イギリスを説得するための大きな材料がないことが問題だったようです。そのため、多くの登場人物たちの願いと反対に、計画は予定通り決行されることになり、兵士たちは疑問を持ったまま、暗殺計画を決行する…。そんな歴史の波に翻弄される兵士や反政府勢力のメンバーたちの心の動きがリアルさを感じさせます。あの「写真」とかのエピソードもとても良かった。
教会でのナチス親衛隊との戦闘も物凄かったし、映画が終わったあとはしばし圧倒されてしまっていたな。個人的な思い入れがあったからかもしれないけど。
ところで…この邦題だけは何とかならなかったのかな。元のタイトルの「エンスラポイド」に適当な副題つければいいじゃない? 「撃て」に「暗殺作戦」はなんかしつこくてしかもB級映画臭いよ。せっかくよくできた歴史物映画なのにもったいない。
そういえば、私の個人的な趣味的な感じでちょっと気になったのは、あの2眼レフカメラは何?ということ。一瞬だったのでよく見えなかったけれども、やっぱりチェコだからFlexetteかFlexaretあたりだったのかな? とか思ってしまう。(実は戦後製造のFlexaretⅡaなら持ってる私。これね↓)
あと実は、この事件の最後の現場となった、プラハの聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂には、10年くらい前、プラハに行った時に寄ってみたんだよね。この事件に興味があったので。なので現場の雰囲気はわかるんだけど、多分セットで再現したこの戦闘シーン、無茶苦茶リアルだったな。ちょっとその訪問時に撮った写真をGoogle Photosから掘り返してみよう。
場所はヴルタヴァ川の近く、プラハの有名な「変な建物」として有名なダンシング・ハウスの目と鼻の先です。
こんな場所です。当時は今ほどネットに情報がなんでも載っているというわけではなかったので(日本語のガイドブックには全く載っていなかったので)Lonely Planetのガイドブックと紙の地図を頼りに行ってみたというような時代でした。当時はスマホでGoogle Maps見ながら歩くなんてのも無理な最後の時代でしたし。旅先でネットに接続するために念のためアナログモデムとか持っていていた時代ですよ(最初の宿にはWi-Fiがありましたが、2番目の宿ではアナログモデムが大活躍でした)。
上の写真の建物右側のところに、映画でも機関銃を撃ち込まれていたり、水攻めのホースが突っ込まれていた地下の納骨堂の明り取り用(?)の小窓があります。小窓の上には、事件に関するプレートが掲げられています。
機関銃を撃ち込まれた際の弾痕が小窓の周りにまだ痛々しく残っていますね。
Lonely Planetには書いていなかったのですが、地下の納骨堂がエンスラポイド作戦の記念館のようになっていて、入れるようになってました。看板の「Národní památník hrdinů Heydrichiády」というのは「National memorial to the heroes of the Heydrich Terror」という意味だそうです。
入口の部分はもとからあったのかな? それとも後付け? 入ったすぐのところに事件の経過が書かれていました。実際に銃撃があった現場はプラハ市街の北東の外れなのね。
行った当時もたしか持っていった観光ガイドの地図と見比べて「???」となっていた気がするのですが、このあたり、当時とはだいぶ道筋が変わっているようで、事件当初の道そのものは現在は存在しないようですが、現地には「Památník Operace Anthropoid」(Memorial Operation Anthropoid)という碑が立っているようです(当時はこんな簡単に情報をネットで調べられなかった)。
報復で消滅させられたリディツェ村のbefore and after。特に事件に関連した証拠はなかったが、15歳以上の男は全員銃殺、女子供は収容所送り、村は更地にされたといいます。(→ リディツェ - Wikipedia)
750人のナチス親衛隊が教会を包囲。
あの教会の地上部で戦った3人、映画だとあっという間だったと思うけれども、2時間も持ちこたえていたのか…。
そして地下の納骨堂でも2時間以上の戦闘が続き、水攻めなどの後に全員が自決して戦闘は終了したということです。
ということで、その納骨堂に入れます。天井には、映画でも何度も出てきた礼拝堂に続く穴の扉があります。
明り取りの小窓の方を、内側からみるとこんな感じです。ここに対して機関銃の銃撃がなされ、さらにホースを突っ込んで外から水攻めにされました。
映画でも描かれていましたが、近くの水路まで何とか到達して逃走経路を作ることができるのではないかと、必死に穴を掘った跡が、小窓の右下にそのまま残されています。
下から小窓を見上げます。
おそらく納骨堂としての機能を果たしていたこの多くの穴は、現在はこの教会で亡くなった7人に対する慰霊の場となっているようです。
こちらには、7人の紹介や、使用したサブマシンガン(おそらく複製だろうけれども)が展示されています。まあ、実際は映画でも描かれていたとおり、ジャムって肝心の時に機能しなかったんですよね。拳銃や手榴弾も一緒に展示されています(史実では、手榴弾は、映画にも描かれていたように改造されていたようですね。ここに展示されているのは別の型なのかな?)。
墓所の一番奥には、地上の祭壇の方に続く階段があります。映画でも突入のために蓋が爆破されるシーンがありましたよね。こちらにも、花が供えられていました。
すごい場所だったな。映画は実にこの納骨堂もリアルに再現していたと思う。いろいろな意味ですごい映画でした。
(おまけ)ちなみにここに行った時は私はパスポートを盗まれて持っていなかったというおまけ付きなのだけれども、まあそれは別の話として…。