xckb的雑記帳

身の回りにあったことを雑多に語ります。

映画「ハクソー・リッジ」の戦場跡を訪ねる:2017年夏・沖縄子連れ旅行(3)

ちょっと前に書いたこちらの続きです。

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さて、色々間に挟んでしまいましたが、話題は夏の沖縄旅行記の方に一旦戻します。

実は7月、「ハクソー・リッジ」という映画を見てきました。第二次世界大戦時のアメリカで、良心的兵役拒否者ながら衛生兵として勲章を得たという実在の人物をモデルにした映画です。

hacksawridge.jp

…がしかし、日本向けの予告編を見るとわかるのですが、これ、どこの戦場を舞台にしているのか、少なくとも日本向けの予告編からはさっぱりわかりません。日本配給を行った会社は何を意図してそういう予告編を使った宣伝を打ったのかは定かではありませんが、実際の舞台は沖縄です。沖縄戦をアメリカ視点で描いた映画ということで、なかなか興味深い作品です。

www.youtube.com

(ちなみに、予告編のYouTubeコメントに、多分映画を見てもいない人たちが勝手なこと色々書いてますが、別に日本兵を悪の権化として描いているわけでもないし、日本兵はとても強くて勇敢だし、それでもあっけなく死ぬのは日本兵も米兵も一緒だし、掃討戦やゲリラ戦じゃなくて日本軍が強固に固めた砦を米軍が攻める構図だから民間人の出る幕ないし。ああ、一貫して日本人はジャップ呼ばわりだけど、それは実際その頃そうだったんだから仕方がないし。まあ、沖縄を徹底して隠すようなわけの分からないプロモーションをやるから、こういう妙な憶測を生むんだと思うな)

この映画の後半の舞台である激戦地「ハクソー・リッジ」は、日本軍から付けた名前は「前田高地」、そして元々は「浦添城(グスク)」の一部です。那覇から車で20分程度で着きます。途中、国道58号を通りましたが、どうもキャンプ・キンザーの58号沿いが先行して返還されるためか、取り壊し工事を色々やっていて、店じまいモードみたいになってました。

ちなみに、真夏で結構暑い上に、アップダウンの激しい道を歩く必要があるので、那覇から近いこともあって、ここには子供を連れて行かず、一人で行ってきました(まだ連れて行っても意味がわからないだろうしね)。水分補給はこまめにね。

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ちなみに、駐車場から浦添城の方に歩いて行くところに、沖縄の歴史・文化に興味のある人なら誰でも知ってるだろう、伊波普猷の墓がありました。

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浦添城の石垣が見えてきました。浦添城は首里城に移る前の中山の城…という認識でいいんだよね? この石垣の前にも地下壕の跡がぽっかり空いています。

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映画を見た人ならわかると思いますが、この高地は多くの壕が掘られ、複雑につながっていたのですよね。危険なので立入禁止です。

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ハクソー・リッジの方に歩いていくと、崖を登った後の山の上の広場的な場所にも、壕の跡がたくさんありますね。ああ…。

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というわけで、ここがハクソー・リッジを登った後の場所です。看板が立っています。

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向こうに見えるのは今の普天間基地ですね。ちなみに米軍が上陸したのは、そこから更に北の嘉手納から読谷にかけての場所です。

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実際に現場に立ってみると、思ったより海が遠いのですが、あの海から艦砲射撃が降り注いんだんだろうなぁ…。

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崖の上の場所に立って後ろを振り返ると、このように、広場みたいになっています。映画見た人なら、どういう場所かはわかるよね。

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少し奥に行くと、崖の下の方に降りられる場所があったので降りてみました。

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降りた場所には「前田高地 平和之碑」というものがありました。

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この碑がある場所は、先程の崖から少し奥に入ったところなのですが、あの崖の下の方は鬱蒼と茂った森に阻まれて何も見えません。

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なので、一旦崖の上に戻りました。ここ、たまたま日本人は私以外いない感じだったのですが、アメリカ人っぽい人たちが団体で見学していました。映画の影響かな?と思ったら、解説の人が、映画の事を取り混ぜながら英語で色々説明してました。

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もう少し崖の下の方に近づいてみたかったので、もう一度入り口の方に戻って、浦添ようどれ(琉球王国の墳墓)の方から回ってみることにしました。そういえば浦添ようどれって一度行ってみたかったんですよね。

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石垣は戦争で完全に失われたらしいのですが、現在はかなりの部分が復元されています。

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こちらが浦添ようどれです。

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で、浦添ようどれから少し降りたところにある道を少し奥の方に行くと、先程のハクソー・リッジの下に近いところに出ました。こちらも現在はかなり森に覆われていて、映画の雰囲気とはだいぶ違った感じになっていますね。あと、前田高地は戦後の復興資材のために多少削られたらしいのですが、その影響もあるのかも知れません。

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浦添城の資料館では、映画の公開に合わせたのか、戦争遺物の展示を行っていました。

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こんな小さな水筒にいくつ弾丸が貫通しているんだろう?

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ずっしりと重い砲弾の破片。

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また、通常は入ることのできない浦添ようどれの内部を復元した部屋もありました。なるほど、中はこうなっていたのね。

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これは棺…なのかな。仏様たちが彫られているということは、仏教式という認識でいいのかしら? でも琉球王国における仏教ってどうだったんだけ? いや寺が昔から結構あったのは知っているけれども…。

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…と思って検索してみると…へぇ、そうだったのか。

「今を去ること500年前、沖縄は仏教王国であった」これは沖縄仏教史の研究者である知名定寛氏の『琉球仏教史の研究』の指摘である。一般的に仏教と縁がないと思われている沖縄であるが、歴史家がこう記すほど、仏教が取り入れられた時代もあったのである。 琉球最古の仏教伝来の記録としては、13世紀の中頃、英祖王(1260年即位)の時代に禅鑑と称する僧が、那覇に漂着し浦添城の西に極楽寺を建立したことである。その後、仏教の庇護者として尚泰久王(1454年即位)、全盛期として尚真王(1477年即位)時代があげられる。当時の沖縄の仏教寺院の多くは、ノロの制度と同じく、国家体制の補完としての機能が中心で、仏教の教義をよりどころとした大衆のための宗教とは異なったものであったと考えられている。

出典:shinran-oki.org

そういえば、ハクソー・リッジの円盤は11月発売のようです。

こちらに続く。

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