xckb的雑記帳

身の回りにあったことを雑多に語ります。

完成した首里城・初めての今帰仁城・そしてその他マイナーな史跡観光:小1少年との沖縄旅行(6)

さて、前の記事は海界隈の観光についてでしたが、次は歴史関係の観光地です。

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ということで、今回の記事の目次はこちら。

復元作業が終了した首里城

さて、非常にメジャーな首里城からいこうと思いますが、今更正殿とかもう何度も何度も行っているので飛ばします。とりあえず前回3年前に行ったときの記事に色々と写真とかも載せたので、そちらをご覧ください。

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今回あえて首里城にも行ったのは、なんと言っても昨年(2018年)に首里城の修復工事がほぼ完成した、という話を聞いたからです。ということは、前回工事中だった御内原(おうちばる)や、はるか昔から何か工事をしていた感のある東のアザナ(あがりのあざな)などの部分の修復工事が完成した、ということらしい。それは何をおいても行くしかないでしょう。

とりあえず正殿は飛ばしていきなり御内原に。ここは江戸城的に例えると大奥というか、生活エリアです。こちらは本殿裏全体を撮影したパノラマ写真。左右に写っている赤い建物は本殿の裏側。そして左から、淑順門(しゅくじゅんもん)、女官居室、世誇殿(よほこりでん)、寄満(ゆいんち)。淑順門は国王や女官が御内原に入るための門、女官居室はそのままの意味、世誇殿は即位の礼が行われる建物で普段は王女の居室、寄満はキッチンで、その裏に国王の居室の二階御殿(にーけーうどぅん)が隠れています。

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女官居室と世誇殿。

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世誇殿と寄満。どれも前回来た時は工事中だった建物です。はじめて御内原の全貌を見られてよかった! ただし中が見られない建物は多い状態です。

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寝廟殿(しんびょうでん)。国王が亡くなられた際に一時的に棺を安置する建物で、資料不足のため土台のみの復元となっているようです。

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寝廟殿のところから正殿の方向を見るとこんな感じです。手前に見える門は白銀門(はくぎんもん)。この門だけが石造りの門で、寝廟殿に詣でる国王が通った特別な門らしい。

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さらに奥に行くと突き当たるのが東のアザナ。アザナというのは見晴台のことです。首里城敷地のちょうど反対側には「西のアザナ(いりのあざな)」という場所もあり、那覇の港を一望する場所となっています。

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ここで視線を少し右に移すと、実は東側の海も遠くに見ることができるのですね。なるほど、首里城の東西の海をどちらも見渡せる見晴台をそれぞれ造ったのですね。

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出口となっている右掖門(うえきもん)から外に出て、もう一度東の方に進むと謎の洞窟が。

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ちょっと「浦添ようどれ」風ではありますが、それほど古いものではありません。これは「留魂壕」というガマで、戦時中に掘られたものだそうです。こちらも昨年整備され、外から見ることができるようになったようです。中に入ることはできません。

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ちなみに浦添ようどれには、2年前この記事を書いた時に訪れています。

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ということで、久々に訪れた首里城は、以前行けなかった場所がかなり復元され、見学ができるようになっています。これは、以前より回るのにだいぶ時間が必要ですね。

初めて訪れた今帰仁城跡

今回ははじめて今帰仁村に宿泊したので(良い宿でした)、せっかくなので今まで行ったことがなかった今帰仁城跡にも行ってみることにしました。ちなみに今回の宿についてはこちらに書きました。

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始めて来たんだけれども…なんかすごくでかい! 首里城と大差ない面積あるんじゃないのかここ。さすがは北山のメインの城。

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中に入ってから結構歩きます。昔はどんな姿だったんだろうなここ。

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せっかくだからこれまた行ったことのない、南山の城の南山城にも行ってみたくなりました。

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かなり奥の方まで石垣や何らかの構造物が残っています。

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首里城と同様、ここも海が見晴らせるのですね。那覇界隈の首里城と違って、本当にきれいな海が見渡せます。

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那覇港も昔は、首里城の西のアザナからこういう海が見られたのかもね。

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ということで、沖縄滞在最終日の朝に回ったので時間がなく、残念ながら資料館などは見に行く時間がなかったのですが、いつかまた来たら寄ってみたいと思います。

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その他マイナーな史跡

さて、特に那覇界隈には個人的に思い入れのある史跡が色々とあります。今回は2つほど、ちらっと回ってきました。

那覇「七つ墓」

いつの間にかちゃんとGoogleマップに登録されていますね、七つ墓。

この史跡に関する詳しい話は、以前ブラタモリ那覇編に関して語った時にモリモリ語っていますので、そちらをご参照ください。

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ゆいレール美栄橋駅から見た七つ墓。近年、前の方にマンションが立ったりしてすっかり隠れ気味ですが、今回はさらに右手に新しいマンションかホテルのようなものが建設中で、手前の長虹堤(かつて島だった那覇と首里への道をつないだ海上の道)跡の道からさらに見えなくなっています。

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とはいえ、一時期売地の看板が出ていてヤキモキした頃を思えば、ちゃんと残っているだけいいかな、と思います。

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ちなみに長虹堤を描いた葛飾北斎「琉球八景」の「長虹秋霽」の左奥の丘の一番手前がこの七つ墓だ、と私は信じています。

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葛飾北斎・琉球八景「長虹秋霽」

那覇「仲島の大石」

もう一つは仲島の大石(なかしまのうふいし)。

これも以前、ブラタモリ那覇編のついでに紹介していますので、詳しくはこちらの記事をご参照ください。

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那覇バスターミナルが大規模な再開発がなされたことで、バスターミナルの端にあったこの石はどうなるかと心配したのです。新しくなったバスターミナルの中をあれこれ探したのですが、なんかきれいな場所になりましたね。

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ということで、仲島の大石は、どうやらそのままの位置で生き延びてくれたようです。良かった。

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反対側から見るとこんな感じです。

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こちらの岩も、葛飾北斎「琉球八景」の「中島蕉園」に描かれています。おそらく2番目の写真のアングルが、この浮世絵のアングルに近いはずです。

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葛飾北斎・琉球八景「中島蕉園」

ということで、存続を心配していた那覇の2つのマイナーな史跡、とりあえず無事に再開発を生き残ってくれていて、とりあえず一安心でした。

さて次は今回の沖縄旅行に関する最後の記事となる予定です。ハンドクラフト系を中心とした、今回の旅のお土産について紹介します。続く。

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