さて、こちらの続きです。
正直、今回の旅では沖縄本島でそれほど観光していないのではありますが、久しぶりに私が本島で一番好きな場所の一つである、末吉宮に久々に行ってみました。こちらも子供を連れてくるにはちょっとつらい場所なので一人できましたが、兎にも角にも5年ぶりくらいだと思います。
末吉宮に関しては、前回ブラタモリ那覇編に関して書いたときにも軽く触れましたが、琉球八社のうち一社、熊野神を祀る由緒正しい神社です。
末吉宮は「子ぬ方(にぬふぁ)」という聖地のそばにあり、おそらくこの「子ぬ方」が発祥となった神社と思われます。「子ぬ方」という名前は首里城から見て「北の方」にあるということからついた名前です。地図でも簡単に確認できますね(「子ぬ方」は末吉宮本殿のほんの少し東にあります)。
ちなみに「ハクソー・リッジ」つながりでいうと、このあたりは「大名高地」と呼ばれた沖縄戦における戦場で、米軍側からついた名前は「Wana Ridge」です(現在は「おおな」と読む「大名」ですが、もしかすると琉球読みした「うふな」が「wana」に聞こえたんでしょうかね?)。大名高地は末吉宮も含め、すべて沖縄戦で破壊され、一帯は焼け野原となりました。
現在は「末吉公園」という公園になっており、私は末吉公園駐車場(無料)に車を駐めて散策をはじめました。駐車場のところから坂を降り、安謝川に掛かる橋を渡ります。もしかすると、川を渡るという行為に宗教的な象徴性があるのかも知れません。
安謝川の下流側。ここも「Wana Ridge」を超えた米軍を、いま来た坂の上の市立病院あたり(55高地)から日本軍が迎え撃った戦場のようです。
末吉宮へ登る階段。まずはいかにも公園らしい場所から、この階段を登り始めます。
ちなみにこの階段を登りきって左にいくと、有名な古民家沖縄そば屋さんの「しむじょう」があります。割とおすすめ。
と…足元にいたのは沖縄の外来危険生物の1つ、アフリカマイマイですね。広東住血線虫っていうヤバい寄生虫のキャリアらしいので、絶対に素手で触ってはいけません。
ともあれ「しむじょう」とは逆方向、右側に進むと末吉宮に続く道に出ます。この末吉の森、実際に行ってみるとわかると思いますが、不思議な雰囲気をした森です。まあ、戦争で一旦焼け野原になっているので、巨大な樹はありませんが、非常に濃密な空気と生命感を感じる森です。
そういえば、琉球八社には必ず対応する寺が付属している(いた)のですが、末吉宮に対応するのは遍照寺という寺です。NHK-BSのドラマにもなった「テンペスト」でも終盤に遍照寺が舞台として出てきますよね。山奥の誰も知らないような寺として。
遍照寺という名前になったのは臨済宗寺院から真言宗寺院となった1672年で、それ以前は万寿寺と呼ばれていたようです。ただし、ブラタモリに関して書いたときにも触れましたが、袋中・良定「琉球神道記」(1605)には「 末好(すえよし)権現満寿寺」とする記述がありますので、「満寿寺」が正しい表記だったのかもしれません。
遍照寺(万寿寺)の跡が正確にどこだったのかに関しては、なかなか正確な資料が見つからないのですが、私はここじゃないかな、と勝手に思っているのが、こちらの石垣の向こうです。
ちょっと入ってみると、広場に拝所が作られています。まあ、ここに限らず末吉宮の参道には大小様々な拝所が点在しているので、間違っていたらすみません。
ちなみに遍照寺は今は沖縄市に移転しているようです、
さて、道を左に曲がると末吉宮に向かう道に入ります。「末吉宮跡」の碑はおそらく再建前のものでしょうね。
沖縄らしい、虫や小動物たちの気配が濃厚な、鬱蒼とした森の中の道を登っていきます。
この道の脇にも小さな拝所が点在していて、その脇にはこんなガマがあったり…。
こんなお墓があったり。墓の前の碑には「漢那親雲上之墓碑」と書かれていますが、実はこちらの方、海で鮫に助けられたとのことで、この碑の下の方に魚(あまり鮫に見えなのだが、一応鮫らしい)のデザインを配すなど、鮫が大好きだったらしいです。
さて、さらに奥に進みます。このあたり、雨が降ると長年の摩耗で磨かれた石灰岩の石畳がツルツルになって、しかももともと結構傾いているので、特に降りるときにとても危険なのですが、今日はいい天気なので問題ありません。
で、登った先に社務所があります。そして奥に石垣が。
この石垣が、末吉宮の社殿に登る階段を兼ねています。ここを右に上ります。
こちらが、末吉宮の本殿です。
ここにTHETA関連機材一式を持ってきたのは初めてなので、THETAで全天周写真を撮影してみました。
私が沖縄本島で一番好きな場所の一つ、末吉宮。数年ぶりにやってきました。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
THETA写真にも小さく写っていますが、この場所から社殿と反対側を向くと、首里から那覇の街にかけての風景が広がります。この末吉宮の場所は、先程話題に触れた沖縄戦の戦場である「Wana Ridge」こと「大名高地」のほぼ頂上にあたります。
ちなみに、この階段を一般人が登ることは禁じられており、警報がなる旨、注意書きがされています。
本殿の右に降りました。赤い社殿と、それを支える黒い柱、そして森の緑に沖縄の太陽が、とても美しいコントラストを見せています。
右を向くと、「子ぬ方」に向かう階段が、巨石の間に作られています。この左の岩の上にあった素晴らしいガジュマルの樹が倒れてからそろそろ8年。5年ほど前に来た時はまだまだその爪跡が悲しい感じだったのですが、そろそろその傷も新しい植物で覆い隠されてきたようです。
こちらでもTHETAで全天周写真を撮ってみました。
末吉宮奥の「子の方」(ニヌファ)に繋がる階段の下。素晴らしい空間です。かつてここにあった素晴らしいガジュマルの木が倒れてそろそろ8年、やっとその後を他の植物が覆い、またこの空間を美しく満たしてくれていました。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
かつてガジュマルの樹の根元があった場所は、現在こうなっていました。戦争で焼け野原になったこの場所が、長い時間をかけてこの森に戻ったくらいですから、この痕跡も今後さらに癒されていくんだろうな、と思います。
階段を左にそれると、本殿裏に相当する、巨石の裏に出ます。ここも拝所になっているのですが、末吉宮の本体はやはり「子ぬ方」の方ではないかと私は思っています。
ということで、「子ぬ方」へと続く階段を上りましょう。
階段を上り詰めると、巨石の間にかかる小さな橋を渡ります。撮る寸前だったので写真には写ってませんが、ここを大きなトカゲが渡っていきました。この橋にも、何らかの宗教的な象徴性があるのかも知れません。
この奥に聖地「子ぬ方」があります。何もない場所です。「火ぬ神」(ヒヌカン)と関係する場所のようですが、山火事を防ぐために火気厳禁です。入ってませんので、中の写真は遠慮しておきますね。
そんなわけで、もう一度ここから逆に道を辿って公園駐車場に戻りました。久々の、束の間の異世界体験的なこの場所、素晴らしかったな。
最後に、在りし日のガジュマルの樹の姿を再掲しておきます(白黒ですが別に古い写真ではなく、私がモノクロフィルムで撮ったためで、9年ほど前の写真です。一番お気に入りなのでこの写真にしました)。
こちらに続く。