さて、色々と思うところのあった実写映画版「四月は君の嘘」を今頃になって観てきました。「思うところ」ってのを以前まとめたのはこちらね。
とは言っても、公開前ならともかく、映画の公開後には映画自体を観ずに色々言うことは避けたい、ということで、遅ればせながらちゃんとお金払って観てきたのですよ。
TOHOシネマズ川崎で、平日朝の8:30からの回に行ってみたのですが、観客は私を入れて6人。まあ、あんまり若者ばっかりの映画館に行くのも気がひけるので、わざわざ人が一番入らなそうなところを選んで行ったんですけどね。うーむ。ゆったりと見せていただきました。
この後は、映画の内容に触れますので、ネタバレを避けたい方はこの辺りでパスされたほうがよいかと思いますが、その前にちょっとだけこの記事で書きたいことを二言三言で要約しておきます。
残念ながら、企画段階で危惧された点がこの映画の問題点そのものになってしまっています。色々と頑張った点はあるのかも知れませんが、アニメ版や漫画原作を知っている人で、この実写版にある程度以上の満足ができる人はおそらく少ないでしょう。
それでももしかすると全く初見の方には「ちょっといい映画」的に写っているかも知れません。それは取りも直さず原作の持っていた力であり、ファンとしてはありがたいことです。そしてもしそう思われるのであれば、是非アニメ版や漫画原作に触れてみてください。今ならアニメはNetflixやdTVなどで普通に見られますし、原作も電子書籍とかでも読めますので。
そんなわけで、ネタバレ避けに少し行を空けます。
さて、以前上で紹介したブログでどういうことを書いたのかというと、こんな感じでした。
22話の合計が約8時間。全ての物語を入れるのであれば、どんなに削っても映画前後編にして何とか、という感じの長さですが、前後編となるという情報は今のところありません。さらに演奏時間は曲目が決まっているのでそう縮んではくれません。なので思い切ったストーリーの取捨選択が必要なわけですが、そこにかなりのセンスが必要とされると思います。
さらに、キャストに合わせたのか、主人公たちの中学生設定が高校生設定になっていますが、恋愛ドラマにするのであれば、あのドラマをそのまま高校生に持って行ったら多分幼すぎてちょっと見てられない。しかも公生役の山崎賢人は立派な成人なので高校生設定でも若い感じだと思うんだけど、その辺りをどう改編するのかが結構不安です。
これが杞憂に終わることを願ったのですが…。残念ながらこれらの懸念点に関しては、まさにその点にこそこの映画の主要な問題の要因があるのだよ、という出来になっていました。残念です。
尺の問題
まず、アニメは約8時間、原作はコミックス11巻。上記の通り「思い切ったストーリーの取捨選択」がなければ、とても2時間の映画にまとめることは不可能です。そこで、個々のシーンではなく物語を形作る大きな要素であるものの、映画からは省かれてしまったものとして、私が特に気になったのは次の点です。
ライバルの存在
残念ながら、武士や絵美は存在ごとまるごと削られました。そして凪や三池くんの存在もなくなってしまいました。そのため、演奏家としての公生を高めていくディティールを含む部分がすっぱりとカットされた結果、最後の演奏に関してもその背景がズッポリと欠けてしまいました。
かをりが公生をピアノコンクールに引きずり出す流れ
いつの間にか公生がピアノコンクールに出ることになっていて、そしていきなり本選でラストのバラード1番を奏でます。そのため、その最後の演奏に関しても、かをりの存在が関わっている要素がかなり抜け落ちてしまっています。「けんけんぱ」のところまではちゃんとあるのにね…。
公生がかをりに生きる力を与えていく流れ
この物語の終盤では、今までかをりに引っ張ってもらってばっかりだった公生が、今度はかをりを刺激して生きる力を与えていくところが実に良いのだと思うのですよ。ところが凪との連弾もなくなってしまったので、病院屋上の重要な2シーンが1シーンにマージされてしまい、いつの間にかかをりが重要な決心を一人でしている感じになってしまっています。
ということで、こういう非常に重要な、キャラクターの動機づけの点が多々抜け落ちてしまっているので、映画だけを観た場合は、キャラクターの行動原理が非常に理解しづらいものになっているんじゃないかな、と思うわけです。そしてキャラクター同士が「高め合う」要素がごっそりと抜け落ちていて、色々な点で唐突感が否めないところがとても残念です。
要するに音楽的な要素が大幅に割愛されて希薄になっていて、音楽を通じたコミュニケーションだったはずの公生とかをりの関係まで、相対的に単なるボーイミーツガール的な要素が強くなりすぎている感があるのがとても残念です。
原作の中学生設定を高校生にした問題
とまあ、そんな形で尺を縮めたわけですが、取捨選択から残った要素は「恋愛」なわけです。この映画をデートムービーとして恋愛映画にしたかったんだろうな、という意図は理解できるし、尺を縮める方向性としてはそれかスポ根的な路線にするかの2つに1つしか考えられないと思うので、まあそこは商業的には恋愛一択になるんだろうな、とは思うのです。しかしそこで残念になってくるのは、原作の中学生設定を高校生にしてしまった点です。
そもそも上で紹介した以前のブログでも書いた通り、「恋愛ドラマにするのであれば、あのドラマをそのまま高校生に持って行ったら多分幼すぎてちょっと見てられない」というのは企画段階から明らかでした。
それでもまあ、椿の恋愛方面の行動原理が幼いのは、キャラクター設定上許せないことはないのですが、かをりに関してはまあ色々思うところがあるわけです。
特に、観客に何ら予備知識のない序盤で、かをりがあの奔放さで川に飛び込んでずぶ濡れのまま公生の家に行ってしまうシーンですが、シャワーを借りて公生の服を着たり的なシーンだけは原作そのままになっていて、そこが高校生設定になってしまったがために、なんか妙に生々しくなっていると思います。高校生設定にしたのであれば、あのシーンはそれこそ原作を改変しなければいけない場所だろう、と思うのですが、こんなところだけ原作に忠実です。
あと、どうしても許せなかったのは病院の屋上で公生がかをりに告白してしまうシーン。確かに高校生設定にしたのであれば、あそこはああするのが自然だとは思うのですが…。違うんだよ、アニメや原作でのあのシーンの良さは、お互い素直に言葉で気持ちを伝えることができないまま終わってしまうところにあるんだよ。もう絶対このシーンはお互いの告白そのものだろう、というものでありながら、二人とも言葉に出せないのがいいんじゃないか。だから最後の手紙の中のかをりの告白が輝くんだよ。こんなところも高校生設定にした弊害かと思うのです。
さらに、学校でかをりが倒れた(ちなみに原作にそんなシーンはないからね)ところで公生がかをりを「宮園!」と呼び捨てにするところに猛烈な違和感が。アニメでも原作でも、公生は多分一度もかをりの名前を本人に対して呼んでいません(間違ってたら指摘してください)。ましてや呼び捨てなんてありえない。公生がかをりを呼ぶときは、かをりが公生を呼ぶときと同じ「君」という二人称だけ。一方でかをりは数回公生の名前を呼んでいて、そのシーンの特別感を演出しているけど、公生には例外はなかったはず。もし公生がかをりの名前を呼ぶシーンに同様の特別感を出したかったのなら、そこは「宮園さん」だろう。呼び捨てにしてはいけない。こんなところも高校生設定の弊害の一つかな、と思うのです。
そもそも高校生設定になったのはキャストありきの話なんじゃないかと邪推してしまいますが、こういう原作改変は実に悲しいものです。
その他不満点
まあその他にも色々不満点はあるのですが…。
病院屋上シーンでのかをりの吐露
あの病院屋上のシーンに関してもう一点。あそこでかをりが「死にたくない」と自分の気持ちを吐露しすぎなところも、(分かりやすくしようとしたのかも知れないけど)余計すぎるしそもそも解釈が浅い気がしてなりません。ちなみに原作やアニメでのかをりは「怖いよ」「私を一人にしないで」としか弱音を吐いていないよ。
かをりはあの手術で完治することを目指したんじゃなくて、時間を伸ばすことに賭けたんだよね。要するに文字通り命を賭けて時間を買おうとしたわけで…。だから、あそこで泣いたかをりの気持ちは「死にたくない」だけじゃなくてもっと複雑で深い想いがあったと思うのです。それを「死にたくない」という言葉で具体化してしまったために、解釈の余地が狭くなってしまっているのが残念です。
広瀬すずが健康的すぎる
まあ、広瀬すずは可愛いんだけど、実写でかをりの役をやってもらうにはちょっと健康的すぎるんだよね。本人が悪いわけじゃないけど。あとやっぱり、何だ、うーん。アニメ版のかをりを見たあとだとなぁ…。
やはり種田梨沙は偉大だった
…というわけで、あらためて実写版を観て思ったのは、アニメ版宮園かをり役の種田梨沙さんは実に偉大だったなぁ、ということ。あの屋上で泣きながら伴奏頼むときのかをりとかもう何度見ても凄すぎる。あと、最初のステージの感想を公生に聞くところとかも本当に凄いのに、映画版では軽すぎてちょっと悲しくなってしまいました。
現在種田さんは病気療養で休業されているということでまたアレなんですが、きちんと療養していつか帰ってきてください。忘れずに気長に待っております。
なぜホタルのシーンまでカットしてしまったのか
それにしても、カットされたシーンへの不満は尽きないものの、特にアニメでは前半のシメ、原作では5巻のシメとなる川原の蛍のシーンをなぜカットしてしまったのか。あの、答えを聞く前に絶妙な間で公生に向き直るかをりの姿を思い出すだけで涙脆くなる名シーンなのに…。よほどアニメ版の聖地よりもリアルにホタルが出てもおかしくない場所の橋だったから、ついでにやってくれてもよかったのにな。
「愛の悲しみ」で満場の拍手
些細な点と言うかもしれないけれども「愛の悲しみ」で満場の拍手だったのはあまりにご都合主義的な感じがしました。
まあ他にも色々思いつく気がするんだけどこれ以上愚痴を書き連ねても面白くないから、ポリアンナモードに入って良かった点を探すことにしましょう。
ここは良かったという点
ということでよかった探し、いってみます!
眼鏡時代のかをり
広瀬すずはかわいいけど健康的すぎるとかさっき文句を書いたけど、何故かメガネ時代のかをりに関しては完璧だ。これはよい。これをベースにちょちょいといじれば通常モードのかをりも悪くなかった気がするんだけどなぁ、と思うくらいによい。
リアルイケメン渡
君嘘のキャラでは私は割と渡が好きなんだけど、映画版でも渡役の中川大志は悪くなかった。リアルイケメン的描写もあまりカットされていなかったので良かったけど、やっぱり最後に携帯でかをりとのツーショット写真を見て物思いに耽る所は削ってほしくなかった。ちなみにE-girlsってよく知らないけど椿の石井杏奈も普通によかったと思う。主にキャラクター的な意味で。
やっぱり小春
小春ちゃん、実写にしたイメージはまさにあんな感じかも。最高!
そんなわけで…
まあ、原作知らずに観るのであれば、それほど悪くない映画として見ている人が結構いる感じではあるので、そこまでひどくなかったという点では良かったのかな。そういう人たちの何人だか何十人だかに一人が、原作を読んだりアニメ版を見てくれれば、…いいんじゃないかな、的に考えています。
それにしてもtwitterで「四月は君の嘘」で検索して感じたんだけど、今の若い人ってのは映画を観にいくとなぜか自撮りをtwitterに投稿する習慣があるみたいね。アニメのイベントとかではあまり見かけなかった風景なので、わりと新鮮でした(笑)。
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ちなみにこの後ハシゴでアニメ版の「聲の形」も観たんですが、これは良かったなぁ。コミックス7巻の原作を、こちらはわりとよく2時間の映画にまとめていたと思います。まあ、君嘘ほどの思い入れはないのでその分甘い評価になっているかもしれませんがね。
色んな意味で不条理を含むストーリーの作品なので、真柴くん的な正義感を持って観ると否定的な感想になるんだろうけど、私の好きなキャラは植野(すごく嫌なんだけど好き)なので不条理は不条理として受け入れた上で、いい映画だったと想います。
(そして植野がアニメ版ユーフォの麗奈もかくやという京アニ的美少女になっていてちょっとビビりました…)
まああと、人の親としてはやっぱり石田や西宮の親御さんには感情移入してしまうよなぁ…色んな意味で。