「僕だけがいない街」、最終巻は8巻だと思っていたら、突然9巻が発売されていたのに気がつき購入。そういえば連載終了後、少し休んだらヤングエースに外伝的なものを連載するとは聞いてたけれども、どうやらそれが単行本1巻分になったらしい(ヤングエースに限らず、漫画雑誌は通常読んでいないので、そういえば失念していたのだった)。そしてこれらの短編集が、「僕だけがいない街」最終巻という位置づけで発売になったようだ。
- 作者:三部 けい
- 発売日: 2017/02/04
- メディア: コミック
ふと、去年、この作品の原作最終巻(8巻のこと)が発売されたら、アニメ版の件とは別に何か書こう…と思っていたにも関わらず、つい忙しさにかまけて後回しにしてしまったのを思い出した。せっかく真の最終巻が発売されたということで、ここで漫画版の「僕だけがいない街」についてもう一度語ってみようかと思う。
とりあえず、ネタバレなしで語れる範囲で言っておくと、この9巻、実に素晴らしい最終巻だった。久々に漫画を読んで涙腺がゆるくなってしまったなぁ。たしか自分が「僕だけがいない街」を読み始めたのは3巻が出た頃だったと思うのだけれども、本当にこの9巻まで読み続けて良かったと思う。
そしてこの外伝が別タイトルではなく、「9巻」という位置づけで出されたことも、実はとても嬉しい。悟を中心とした視点から語られたメインのエピソードからは見えにくかった、他のキャラクターたちの様々な想いが、この最終巻には力強く描かれている。まさにこの9巻で「僕だけがいない街」の世界は本当に完結するとも言っていい。8巻が最後だと思っていた人、この巻を絶対に読もう。
そういえば、アニメ版はちょうど今から1年前にやっていたんだな。去年も書いたけれども、アニメ版に関しては俺はかなり微妙な評価をしている。割と初期から原作を追っかけてきたこともあり、アニメ版のラスト2話が完全にオリジナル展開になってしまったことに関しては、どうしても否定的な立場を取らざるを得なかった。
まあ、そうは言っても2016年のTVアニメベスト10をまとめたときには、結局3位にしたんだが…9話までのノリで最後まで突っ走れれば、文句なしの1位だったと思う。そういう、ちょっと完全には乗り切れなかったところが余計残念だったのだ。
だが、上で紹介した記事に書いた通り、原作8巻での結末は素晴らしかったと思うし、そして繰り返すようだが、今回の9巻での終わらせ方は文句なしの最高だった。実にありがたい。
さて、この辺りで少しスペースをあけて、ネタバレありに移行しよう。
9巻は、「僕だけがいない街」の本編ストーリーの一部を、他のキャラクターの視点から見たストーリーとして展開する。「Re: 雛月加代」「Re: 小林賢也 前編」「Re: 小林賢也 後編」「Re: 藤沼佐知子」「Re: 片桐愛梨」の5話構成。悟が眠っている間のストーリーだけではなく、割と色々な部分が補完されている。
ここでは、私が特に気に入ったストーリー2つ「Re: 雛月加代」と「Re: 藤沼佐知子」をピックアップして、自分が感じたことをちょっと書いてみよう。
Re: 雛月加代
9巻で、何と言っても一番嬉しかったのは、この雛月加代のストーリーで、私が本編で大好きだった6巻の「クリスマスツリーの木と中学生になった加代」のシーンに至るシーケンスが描かれたことだ。
以前、2016年TVアニメベスト10について書いたときにも触れたけれども、アニメ版「僕だけがいない街」において、原作から削られてしまって私が一番残念だったシーンが、5巻と6巻で、加代が再び「クリスマスツリーの木」のところにやってくるシーンだ。
5巻では加代は悟を連れてクリスマスツリーの木のところに行く。そして街を振り返って悟に感謝の言葉をかける。そこで見るのは悟が加代を助け出してくれた苫小牧の街、つまり過去の方角だ。
出典:三部けい「僕だけがいない街」5巻
それに対して6巻で、中学生になった加代は1人でクリスマスツリーの木を訪れる。ここでは街と反対側の、樽前山の方向を見ている。つまり未来を見るようになっているのだ。
出典:三部けい「僕だけがいない街」6巻
この、「2人と1人」「過去と未来」の対比が素晴らしいシーンだけれども、9巻の「Re: 雛月加代」ではこの後者のシーンに至る過程が描かれている。それにしてもまさか、佐知子が内地の病院に転院を決め、加代に黙って悟と街を出ていったことを知った加代が、泣きながら走っていった先がこの6巻の「クリスマスツリーの木」のシーンだったとは。
このシーンは、加代と悟が別々の未来へと歩き始めることを象徴するシーンでもあるのだけれども、そこには明確な佐知子の想いがあって、それを加代が受け入れた、ということが、この「Re: 雛月加代」でしっかりと描かれたことが、何かとても嬉しいのだ。そしてこの時加代が目を向けた未来が、はるか先の、目覚めた悟と加代との再会へとつながっていく。
そういえば加代の子供の名前は「未来」だった。加代は悟にもらったいちばん大切なものを、子供の名前にしたんだな。
Re: 藤沼佐知子
なんで藤沼佐知子編がそんなに気になったのかと考えてみると、やっぱり自分が同じ、男の子の親だからだろうなぁ、と思う。藤沼佐知子の息子、悟は、他人に対して踏み込んでいけない、という問題を抱えている。いや、おそらくどんな子供も何らかの問題を抱えているし、仮に問題を抱えていないなどというのは、親が問題から目を背けているだけだ、とは思うけれども、悟の問題はもしかしたら、幼いころに両親の離婚を経験したせいではないかと考え、佐知子は密かに自責の念を持っている。
この藤沼佐知子編では、悟が加代を救うべく奮闘していた頃の出来事を、佐知子側の視点から描いている。
一番印象に残ったのは、回想として出て来る、悟が子犬を拾ってきた時のエピソード。悟は可哀想な子犬を拾ってきて、佐知子と一緒に世話をし、その夜も添い寝をするのだが、翌日学校に出かける時に子犬の世話を佐知子に頼んだ後、それっきり世話をしなかった。3日後に病気にかかっていた子犬は死んでしまうのだが、その後佐知子が悟を叱るシーンが、実にグッとくる。
出典:三部けい「僕だけがいない街」9巻
しかし、今の佐知子の眼の前にいる悟は、そのような「途中で投げ出してしまう」存在ではなく、大人になるまでの人生を一度経験し、母親である佐知子が理不尽に殺され、その犯人として疑われた自分を信頼してくれた愛梨に出会った後の悟だった。
本当はそこに至るまでに長い時間と出会いが必要だったのだけれども、その長い時間がかかる間、根底にあったのはやはり母親としての佐知子の願いだったと思う。
そして「途中で投げ出さない」人間に成長した悟が、友人たちの力を借りながら加代を救うために苦闘するプロセスを、全力でバックアップする佐知子の姿が素晴らしい。その姿を日記形式を借りて描いたのがこの「Re: 藤沼佐知子」編である。
そして彼女の目から見た悟は、頼もしくもありながら、やはりどこまでも男の子らしく可愛いのだ。
同じ時、同じ場所でのエンディング
この「9巻」は、8巻の本編最終回と同じ時、同じ場所で、視点のみを悟から愛梨に変えて終わりを迎える。多くの登場人物からの視点としてストーリーを再度見つめ直す、そんな「真の最終巻」として出てきたこの「9巻」は、おそらく人生の色々な場所にいる人に、より色々な形で共感されうる物語なのではないかと思う。
あとがきで、作者の実体験として真冬の薄暗い裏山でキツネが足元をグルグル回った時や、実はネパールにあった「クリスマスツリー」のモデルの木に行った時の話を引いて、「思いが残っている場所というのは『今の自分が形作られる鍵』になる事柄を思い出せる場所なのでは」と書かれているが、同じように心に残る作品、心に残るエピソードというものも、「今の自分が形作られる鍵」でもあるように思う。
ともあれ、これだけの作品を作ってくれると、三部けい先生の次回作が無茶苦茶楽しみだったりするのだけれども、あとがきによれば「17年の夏前にはスタートできるといいな」なのか。うん、気長に待とう…。
そして、追伸的に:酸欠少女・愛梨
ところで、サブタイトルが「Re: 登場人物名」だったり、愛梨に美浦姉が、「酸欠気味っていうのかな、心が」と語りかけるところなどには、アニメ版のOP, EDへのリスペクトを感じるな。自分にとっても、アジカンの「Re:Re:」はなんとも懐かしい曲だったし、さユりはこの「それは小さな光のように」をきっかけにして、何度もライブに行くようになった。
出典:三部けい「僕だけがいない街」9巻
- アーティスト:ASIAN KUNG-FU GENERATION
- 発売日: 2016/03/16
- メディア: CD
- アーティスト:さユり
- 発売日: 2016/02/24
- メディア: CD
「それは小さな光のように」のC/W曲の「来世で会おう」(作曲・作詞:さユり)、決して「僕だけがいない街」のために書いた曲ではないはずだし、全体としてそうかというとそうでない部分もあるんだけど、なんとなく重なる部分を感じて好きなんだよね。
来世で会おう
生まれ変わった時は
二人きっと違う未来が待ってる
そして、今でもさユりの曲で自分が一番好きなのは、この曲なんだよな。今日もこれを書きながら、何度も聴いてしまった一日だった…。
お…こんな記事が来ている。