xckb的雑記帳

身の回りにあったことを雑多に語ります。

7年前の自律神経失調的な日々(4):あらためて病院へ、旅行計画も中止

7年前に体調を崩していた時の話、第4回です。

6月頭に初めて謎の不調をおぼえ、最初は熱中症と思ったものの、その後夜の室内でも症状があらわれて立ち上がれなくなってしまい、さすがに熱中症とは思えない状態に。その日のうちに救急病院に行ったら、しばらく微熱が続いていたせいか、風邪ではないかと言われてしまう。そうしているうちに7月にどんどん状況が悪化し、日常生活にも差し支えるようになってきました。その続きです。

とりあえずあらためて病院に行ってみる

8月になってさらに状況は悪化してきました。日常的な疲労感も強くなってきた上に、電車に乗ると目眩やふらつきを感じることが多くなったので、電車に乗ること自体が怖くなってきました。電車を出て歩き出すと、今度はその足元が溶けていくような感覚(厚いスポンジの上を歩いているみたいな感じ)に悩まされます。

この状況はいけない、ということで、あらためて病院に行ってみることにしました。目眩がするということからググってみると、まずは耳鼻科と書いてあったところが多かったので、耳鼻科に行ってみました。ライブハウスで倒れた時に行った救急病院でやってもらったようなバランスのテストをはじめ、いろいろ検査をしてもらったのですが、結果は異常なし。何の進展もありません。

しかし、微熱は続き、疲労感は悪化し、異常な感覚は日を追う毎に強くなっていきます。仕事に行く以外の予定は全てキャンセルし、家ではベッドに横たわって、食欲もなく暑い中、水やペットボトルのお茶などを飲んで過ごす日が続きました。

そこで今度は神経内科に行ってみることにしましたが、ここでも頭部MRIを含むさまざまな検査をしたのですが全く異常なし。どうしたらいいんでしょう? ここまで来ると次は精神科か心療内科かな? と思いました。


実際、この頃になると、通勤中にホームで電車を待っていると、ああ、ここから一歩踏み出したらこの苦しみから抜けられるのかなぁ、などという発想が自然に出てきていました。もちろん次の瞬間に、何ということを考えていたのだと唖然としたりするわけですが、その衝動をつい抑えられなくなった人の気持ちというのも、なんとなく想像がつくような気がしました。

この時までは、まさかそんなことが自分の発想として出てくるなんてことは一生ないことだと思っていたのだけれども、そうぼんやりと考えていた精神的な「障壁」のようなものは、何の根拠もないも思い込みだったのね、と思えたことは、今考えてみると、いろいろな意味で良いことだったのかもしれません。

「死ぬ勇気さえあれば何でもできる」なんて言葉がいかに空虚なものか実感できましたから。

旅行の予定を直前キャンセル

そんな中、実は8月末から9月初めにかけての旅行の予定を、以前から立てていたのです。計画をしたのは今回の体調不良がはじまった6月より前の、たしか5月あたり。プラハとドレスデンとベルリンに行こうと思って、飛行機のチケットも既に取ってありました。そういう事情もあったので、なんとかそれまでには体調を戻したいと思ったのですが、その願いむなしく体調は悪化する一方。旅の数日前に、微熱とはいえないような熱が出て仕事も休んだあたりで、ついに家のベッドから立ち上がることすら難しくなりました。

この状態ではさすがに旅行は不可能ということで、出発数日前の直前キャンセル。ホテルを含めキャンセル料は10万円近くにのぼり、そして使い所のない長期の休暇が残りました。

さすがにこれは一緒に行く予定だった嫁にも申し訳ないとしかい言いようのない状況です。とはいっても、その件に関してなじられるようなことはなかったのですが、正直、不機嫌にはなっていたと思います(まあ、当たり前です)。そしてそういうことを引き起こした自分の体が自分でもどうしようもなくて、情けなくなりました。

未来が見えれば楽だったんだろうけれども

余談ですが、この時諦めたプラハとドレスデンとベルリンは、この体調不良から復活した後の2007年夏に行くべく、リベンジの計画を立てたのですが、今度はプラハには辿り着いたものの、現地でのトラブルでドレスデンとベルリンには行けないという事態に(まあ、それ故に結果的には予定よりプラハに長期間滞在できたのですが)。そしてベルリンとドレスデンは、2008年にあらためて旅することとなったのです。これに関しても面白い裏話がたくさんあったのですが、それはまた後日にでも…。

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今にして思えば、この3都市の旅に纏わる様々なトラブルは、「別に一発でうまくいくことだけが楽しいわけでもないよ」、という事実をあらためてこの歳になって感じさせてくれたという点でも、有意義だったなぁ、と思います。上の写真は2007年の夏に訪れたプラハで、ヴィシェフラドから見た朝のヴルタヴァ川。

というわけで、最悪な2006年の夏に話を戻すと、もともと取る予定だった休暇と、その前に体調不良で取った休暇数日を合わせて、2週間ほどの連続休暇が取れることになりました。そして結果として、そのほとんどすべてをベッドで寝て過ごすことになります。

もちろんこの時点では、1年後には今回行けなかったプラハに行けるくらい体が回復しているという未来もわかりません。それどころか、日々悪化する体調から、明日自分の体がどうなってしまっているかさえ不安になる状況です。そういう先が見えない不安を抱えた状態で、この長い休みを延々ベッドで寝て過ごすことで、さらに憂鬱度は上がっていったのです。

続く。