港区芝5丁目、慶應仲通りの端の方にあった、真っ黒な建物に看板もない、俗に「名前のない餃子屋」と呼ばれていた餃子屋さんが、昨年末でついに閉店してしまった。
おばあちゃんが一人で切り盛りしていたお店で、それほど頻繁に通っていたわけではなかったのだけれども、この界隈の餃子屋さんとして、…だけではなく単純に餃子屋さんとして最高に気に入っていたのだ。このエビが入ったプリプリの小ぶりな餃子、大好きだったんだよなぁ。一見愛想がないようだけれども、俺のような時々しか行かない客が行っても、毎回「久しぶりだねー」と迎えてくれたおばあちゃん、ありがとう。
とても気に入っていて、時々ではあっても顔なじみになるくらい長く通っていたお店とお別れするのはやはり悲しいものだが、最近そういう例は少なかっただけにかなり残念である。同じようなことを思ったのは恵比寿の八重山料理屋さん、(旧)「マンタ食堂」(たしか2008年頃に閉店)とか、元住吉の焼き鳥屋さん、「鳥森亭」(2012年閉店)とか、沖縄・糸満の大衆食堂「三姉妹食堂」(2010年頃閉店)とかかなぁ。
豚汁とご飯をセットにしたこの餃子定食とかも大好きだったし…。
焼き餃子と水餃子(あるいは焼き餃子2皿)頼んで…。
こんな感じで瓶ビール+グラスで餃ビーやるのも大変良いものだった。
この塩グリーンピースももはや懐かしいね。
ちょっと古い思い出の話をしていくと、こちらのお店、実は昔「がんこラーメン五代目」だったという(かつては店内に「がんこラーメン」のロゴの跡が残っていた)。その後独立して、名前のないラーメン屋となったらしい。俺が知っているのはこの名前のないラーメン屋の頃から。店の入口に牛骨を出すと開店中の印、だったな(夜はランプでこの骨が照らされる)。こちらは2003年の写真だけれども、もう少し前から俺は通っていたはず。
最初はその店構えに恐れをなして敬遠していたんだけれども、意を決して入ってみたら美味かった、というやつだな。確か塩ラーメンと醤油ラーメンがあった気がする。これは塩ラーメン(写真は2003年)。
具にもいわゆる「特製」的なやつとノーマルなやつがあった(メニューの名称は忘れた)。こちらは「特製」的なやつの醤油ラーメン(写真は2005年)。かなり塩分多めのスープにこのとろけるチャーシューが好きだったのだ。
夏季限定の冷やしラーメンとかも好きだったな(写真は2004年)。この鴨肉がとても良く合っていた。もしかしたらこの頃からサイドメニューに餃子があったのかも知れないけれども、少なくとも自分はここにラーメンを食べに行っていたので気が付かなかった。
で、元がんこのスキンヘッドのおじいちゃんが引退して、おばあちゃんのみによるオペレーションとなり(おじいちゃんも顔を出していた頃もあったけどね)、開店の印も牛骨からのれんとなり、名前のないラーメン屋から名前のない餃子屋になったのでした。とはいえ、初期の頃は麺メニューが残っていて、このジャージャー麺と餃子のセットとか最高だったなぁ、と(写真は2011年)。
そしていつしか麺メニューもなくなり、餃子のみのお店となったのでした(写真は2016年)。そしてこの餃子の旨さの虜になり、開店時間があまり合わなくなったので行く機会も減ってしまったのだけれども、それでも時々通ってこの美味しい餃子を堪能していたのだった。
ああ、もうあの低い出入り口を出る時に、ガツンと頭をぶつけることもないのだなぁ…(何度ぶつけたことかというのも懐かしい)。おばあちゃん、そして昔の元がんこ時代のおじいちゃん、本当に美味しい餃子とかつての美味しいラーメンを本当にありがとうございました。最高でした。