xckb的雑記帳

15年ほどWeb日記をつけ続けていたのですが2012年で一旦休止、1年半ほど休んで新天地でぼちぼちのんびりまた始めてみることにしました。

ブラタモリ・那覇編の感想と雑学的な何か(5) 壺屋から水上店舗、ガーブ川

さて、やっとのことブラタモリ那覇にかこつけて書いてきたこのシリーズの最終回となる第5回です。長くかかってしまいすみません。前回はこちら。

xckb.hatenablog.com

今回は戦後の復興から現在の那覇中心地へと至る、この番組で言うところの「ニュー那覇」の話です。

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戦後の那覇の復興の発端となった壺屋。家の食器のかなりの部分が沖縄のやちむんである私としては恥ずかしながら、この辺りのストーリーはよく把握していませんでしたが、よく考えれば沖縄戦で米軍が占領した地域の住人は基本的に収容所行きになっていたのだから、地上戦で廃墟となった那覇には当初そもそも民間人がいなかったのですね。まずはやちむんの職人を、戦災の比較的軽かった壺屋に戻すことで、食器づくりという最初の産業を復興させるという形で那覇の復興の第一歩が踏み出されたとは…。まだまだ勉強がたりませんでした。

そういえば南窯(ふぇーぬかま)の下は何度も通っているけど、窯のところまで登ったことはなかったな。自由に行けるのかな?

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そして復興した壺屋の近くに新たに作られた闇市、さらにそれを移転させて作った公設市場と、現在の那覇に繋がるストーリーが紹介されていましたね。

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段差・暗渠大好きのブラタモリなら絶対やってくれると思ったガーブ川と水上店舗、むつみ橋なども、しっかり紹介してくれて嬉しかったな。さらにガーブ川暗渠に潜入とかまでやってくれたら最高だったんだけど、まあ危険度高そうだしね。

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そういえば公設市場や水上店舗ですが、(前回から続くストーリーに沿う形になりますが)これまた再開発・移転関係のいろいろな話があるんですよね。いや、これも無理はない話なのです。戦後の色々あった時期にガーブ川に蓋をして作った水上店舗や公設市場などの建物は老朽化が進んでおり、耐震性などにも問題があります。ガーブ川では鉄砲水で数年前に死者もでています。

そんなわけで那覇市第一牧志公設市場の移転計画を出したのですが、その移転先として示したのが、かつて第一牧志公設市場の移転先として1969年に用意したものの、客の動線が悪いために移転が進まず、最終的に2001年に閉鎖された第二牧志公設市場の跡地。

どうも那覇市としては水上店舗の場所を道路にして沖映通りとつなげよう…的な事を考えていたようですが、その移転先はないわー、と観光客である私も思います。もしあそこを代替地とするなら、国際通りからあそこまで、現在の市場本通りに匹敵するアプローチを開発しないとダメでしょう。むしろ、市場本通りも含めて道路にするなら、そこの店をそのまま移転するつもりでアプローチを改善しないとねぇ…。

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大体、あの「水上店舗」という実にアジア的ないい加減さで作られた街並みがあってこそ、そしてブラタモリで非常に興味深く紹介されるほどの怪しさがあってこそ、あの界隈の魅力があるわけで、それを内地にもあるような普通の商店街的な整備をして他の場所に移転させても、現在のような集客力を維持できるか実に不安なわけです。

そもそも、私としてはガーブ川の水上店舗を潰して道路にするなど、本当に「ありえない」再開発だと思っています。どうしても改修しなければならないなら、あそこはテーマパークと割りきって、新築だけど築50年超に見えるような今と同等以上に怪しい商店街として改修し、公設市場は今と大差ない場所に耐震基準に見合う強度と治水設備だけはちゃんと備えた同様の建築物として整備するべきなんじゃないか…とかいう極論まで考えてしまいます。現実性は皆無っぽいですが。

大体、国際通りに繋がる道路なら、松尾の交差点界隈の整備に続いて、さらに桜坂社交街の一部を潰してまで立派な道をすぐそばに作ってしまったじゃないですか。先日久々に沖縄に行って壺屋界隈に行こうとして、あの風情のない新しい道を見て愕然としてしまいましたよ。既に作ってしまったものは仕方がないとして、さらに水上店舗や第一牧志公設市場まで潰すってのは実にいただけません。

まあ、色々検索してみるとこの安易な計画は色々反発されて方向修正云々と言う話もあるようですが、まだまだどうなるかわかりません。小綺麗なリゾート的那覇はもう那覇軍港跡地再開発に任せておいて、闇市から始まった那覇国際通り界隈は、今のそこはかとなくエキゾチックな街並みを大切にして欲しいと思うわけです。ブラタモリが記録映像になってしまったりしないように。

さて、ブラタモリ那覇編は、ガーブ川の暗渠が尽きる上流側の場所(農連市場の脇)で終わりました。そういえば農連市場も再開発云々でもめているようですね。

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那覇市内の再開発に関してはこういう話が多すぎです。もう少し那覇市は、それこそこのブラタモリ那覇編を見て、何が那覇を魅力的な街にしているかを考えなおしたほうがいいのでは…と思ってしまいます。

まさに散歩していて、こんな感じに「いい町だねぇ」と言えるように。是非ともお願いします。

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おわり。


ちなみに、ガーブ川暗渠の下流側は、むつみ橋を超えて沖映通りの下を流れて左に反れてジュンク堂の横で蓋が外れ、長虹堤のところで紹介した「七つ墓」のすぐ裏を流れて久茂地川に合流します。そもそもガーブ川自体が、長虹堤建設による長期的な土砂の堆積で埋まった、かつての入り江の跡なんだよね。久茂地川もそうだけど。

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こういう、琉球王国時代の史跡や、戦前、戦中、戦後のさまざまな特色ある歴史が街中に色々と埋もれている今の那覇の街が私は好きです。今年もまた那覇に行って、私もブラブラしてみたいな、と思わせてくれる番組でした。どうもありがとうございました。




(付録)この一連の記事の中で、葛飾北斎琉球八景」を8作中6作も紹介してしまったので、残り2作も紹介しておこうと思います。

葛飾北斎琉球八景「城嶽靈泉」
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那覇市樋川(ひがわ)のここのはずなんだけど、景色が変わりすぎていて一瞬わからなかった。この辺りも昔あった建物がごっそりなくなっているな。以前行った時は、当時路地の奥だったこの中心にまさにこの絵で描かれていた湧き水の跡と思われる樋川(ひーじゃー)があったんだけど、再開発で消滅しそう、もしくは既に消滅しているような予感のするストリートビューの風景。ちょっと心配です。「樋川」という地名自体がここの樋川に由来していそうなんだけどね…。

と思ったらこんな記事がありました。

水音が消えた/開南「せせらぎ通り」 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

那覇市樋川にある汪樋川(オーヒージャー)のわき水が数年前から枯れ始め、その水を利用した開南せせらぎ通りから水音が消えている。流れがないためせせらぎには泥やゴミがたまったままだ。同通りは開南せせらぎ通り会が管理することになっているが、同会は現在休眠状態。周辺で商売を営む人たちも「水が枯れてしまっては…」と対応もお手上げの状態だ。

というわけで、2000年から既に水は枯れていたようで、確かに私が以前行った時にも水は流れていなかったように思います。開発などで地下水の流れが変わってしまったんですかね。

葛飾北斎琉球八景「龍洞松濤」
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いや、那覇に雪は降らないから…と思っていたら今年は降りましたね、北斎先生(笑)。ゆいレール壺川駅あたりから奥武山を見たあたりに相当するはずです。かつて「龍洞寺」という寺(護国寺の隠居寺らしい)がありました。

江戸時代の浮世絵というのは今で言う雑誌的な存在感だったのかと思われますが、琉球という庶民には謎の土地は、江戸の人々の旅情をいたく刺激したのでしょう。トレス&アレンジ&カラー化という作業ですが、「琉球国史略」の白黒イラストをこれほど魅力的なイラストにしてくれた葛飾北斎先生に感謝です。私もこれらの8枚の絵に物凄い刺激を受けてたくさんのことを知りました。

ありがとう。

(何とか今晩の再放送には間に合ったかな?)



(2016年9月29日追記)ところで書籍で出るみたいですね。熊本編も一緒の巻みたいだけど、あれは本当に熊本城の記録映像になってしまったなぁ…。

ブラタモリ 6 松山・沖縄・熊本

ブラタモリ 6 松山・沖縄・熊本