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xckb的雑記帳

15年ほどWeb日記をつけ続けていたのですが2012年で一旦休止、1年半ほど休んで新天地でぼちぼちのんびりまた始めてみることにしました。

7年前のパスポート盗難事件(2):盗難後の半日でとりあえず一次対処

こちらのエントリの続きです。2007年夏、プラハからドレスデンに向かう列車が発車する直前にパスポートを盗まれてしまったので、ドイツへの国境を越えられなくなり、途中駅からプラハに逆戻りすることになったのです。

プラハに戻る列車で今後の対応策を決める

プラハに帰るのに乗った列車は、先程まで乗っていた特急列車と異なり、かなりローカルな感じのおんぼろ列車でした。車掌さんが検札にやってきたのですが、カクカクシカジカの理由で大使館のあるプラハまで戻る必要があって、なおかつ今は1コルナも現地通貨を持ってないぞごめん、と説明したら、「そりゃ残念だ、お金はいいから乗っていけ」という感じで言ってくれたのでありがたくプラハまでその列車に乗っていくことに。

窓の外に広がるのはチェコの美しい田園風景。こんな状況でなければのんびりとこの景色を楽しむところなのですが、そうもいかないので現状の整理と今後の方針決定をしようかと。

私の携帯は盗まれたものの、嫁の携帯は無事なままだったので、それを借りてプラハ日本大使館に電話しました(観光ガイドに電話番号は書いてあった)。混雑した列車だと席から電話するのははばかられるかもしれませんが、実にローカルな列車でガラガラです。遠慮無くコンパートメントで、横の座席に資料を積み重ねてメモを取りながら電話OKな感じです。そこで分かったのは、帰国するために今後行動すべきオプションが2パターンあること(どちらも、現地警察に届け出た上で、その報告書が必要です)。

  1. 身分を証明する書類を持っており、帰りの航空券が予約されており旅程表があれば、「帰国のための渡航書」で帰国することができる。これだと数日で発行可能。
  2. それ以外の場合はパスポートの再発行になるため、戸籍謄本などを日本の親戚などに取ってもらうなどの手段が必要で、なおかつ1週間以上の時間がかかる。

もちろん、数日で済む前者のほうがいいに決まっていますが、その場合困難が2点あります。

  • 予約している帰りの便のチケットはベルリン発ウイーン経由成田行きとなっており、最初のベルリンで搭乗できないとその後の成田までの予約が連鎖的にキャンセルされてしまう。しかしパスポートがないとチェコからドイツに入ることは出来ず、ベルリンに行けない。要するに詰んでる。しかもウイーンでストップオーバーのチケットなのでそもそもオーストリアにも入国する必要がある(空港内で1泊すれば別ですが)。

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  • プラハから成田への片道切符を新たに予約するということになると、非常に高額(直前の片道予約ということで、時に往復より高かったりする)になる。しかもこの費用は通常の海外旅行保険からは出ないらしい(最近だと、偶然事故対応費用とか旅行事故緊急費用とかの特約が付いているタイプの保険なら出るかも)。

もう一点問題になりそうな身分証明書ですが、この時はパスポートと別の鞄に、写真入りの住民基本台帳カードという立派な公的証明書を偶然持っていたので、幸いながらなんとかなりそう(もちろん運転免許証でも大丈夫です)。

そして、海外旅行保険のヘルプデスクにも電話。保険の適応には盗難の届けを警察に出して証明書をもらうことが必要など、現状の認識が間違っていないことを確認。さらに大使館とのやりとりなどをここで再確認してこちらの認識の間違いがないかなどを確認。AIUのヘルプデスクの方、親切に色々対応してもらいありがとうございました。

そこから国際電話で日本のドコモを呼び出して、私の盗まれた携帯を止めてもらました。三井住友VISAカードに電話してiDを止めてもらうのは、まあ後で良いかと。

そして、とりあえず、直近のドレスデンの宿のキャンセルの電話を入れました。ベルリンに関しては払い戻し不可の予約だったのでとりあえず放置、ウィーンもまだ日が先なのでとりあえず放置。そしてプラハの宿を新たに予約。今朝まで泊まっていた宿は、今日は満室だったものの、明日からは空室が3泊空いており、同じレートで泊めてくれるということなのでとりあえずそちらを予約、そして観光ガイドを見て今日の宿を中心街の適当なホテルに1泊取ってなんとか一息。

仮に帰国予定の25日までプラハにいることになるとすると、最後の1泊がまだ決まっていないけど、それはまあ何とかなるでしょう。ちなみに、ホテルのフロントで予約者の身分証明書を見せろと言われると困るので、申し訳ないのですが、嫁の名前で予約してもらいました。

以上をプラハに帰る列車の中から処理し終えました。ああ、1台でも携帯が残っていてよかった!

懸案の航空券の件については、ベルリン→ウィーンのチケットをキャンセルして、プラハ→ウィーンのチケットを取り、なんとか既に予約済みのウィーン→成田の便をキャンセルせずに繋ぎたい(もちろん、格安航空券ではないとはいえ、このクラスのPEXチケットでは通常このような変更は許されていません)。また、大使館の話では、「帰国のための渡航書」で帰国する場合、乗り継ぎは認められるが、あくまで帰国のためで、乗り継ぎ空港で外に出ることは原則できない、とのこと(とは言っても、実際のところどの程度「原則できない」のかはよくわかりません)。

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つまり、帰国の予定日の8月25日でウィーン→成田の便に乗り継げる時間帯のプラハ→ウィーン便の席が2席以上空いていて、予約ができてなおかつ旅程表を入手する事でようやく、「帰国のための渡航書」での帰国が可能な条件が揃うということです。しかもできる限り迅速に。

というわけで、こんな申し訳ない上に複雑なお願いを、下手くそな英語でこちらのオーストリア航空のヘルプデスクと交渉するくらいならば、まずは日本語で日本のヘルプデスクと交渉したほうがマシ、との判断のもと、日本のデスクが開く時間になってから、国際電話で交渉してみることにしました。

ということで、ここで一息。外の景色はまだチェコの田園風景が続いています。生まれて初めて、何の身分証明もない状態で異国に放り出されているという不安な状況では有りましたが、一方ではこの状況を楽しみ始めている自分がいることに気がついてもいました。

警察への届け出と、航空券の交渉

プラハ・ホレショビッツェ駅に再び到着。まずは釈然としない感じですが、先ほどチェコ・コルナを全額ユーロに両替した両替店で、今度はユーロを全額チェコ・コルナに両替しました。

警察は駅のすぐ前にありました。呼び鈴を押して鍵を開けてもらい、中にいた警官に片言で事情を説明。日本の交番や警察署のようにオープンではないのね。

まずは色々とこちらから状況を説明しました。すると、ポリスレポートを出すにあたって、「盗難」とするには数日かかるが「紛失」であれば即時発行できる、と言われました。「紛失」だと保険の適応が大丈夫かな、とも思ったのですが、レポートの発行に数日かかっていてはそもそも帰りの便に間に合いません。「紛失」でも構わないのでレポートを書いてくれ、ということで、状況説明的にどう見ても「盗難」だが形式的には「紛失」なレポートが出来上がったのだと思います。チェコ語なのでよくわかりませんが。

ということで、なんとか列車の中から予約したホテルに嫁の名義で無事チェックイン。いやはや今回も嫁には本当に迷惑をかけてます。なんとか落ち着いて夕飯を近所で食べました。

さて、「帰国のための渡航書」で帰国するための必須アイテムの、帰国航空便の予約を証明する旅程表を手に入れなければなりません。オーストリア航空の日本のデスクが開くのが日本時間の朝8時(UTC+9)で、今のチェコはDST中なのでUTC+2で時差は7時間マイナス、つまり深夜の1時になれば電話をかけられるということで、しばし英気を養い時間を待ちます(このホテルからはLANでネットにアクセスできなかったので色々不便でしたが、なんとかアナログモデムで外につないで色々調べ物をしました)。

ということで、深夜1時になったら即電話。航空会社のお姉さんに色々とこちらの困った状況を話して、なんとか8月25日のプラハ→ウィーン便を予約してその日のウィーン→成田便につなげてもらえないかを交渉したところ、ありがたいことにOKのお返事(本当にありがとうございました)。電話でクレジットカード番号を伝えて、通常料金でプラハ→ウィーン便を予約し、ベルリン→ウィーン便はキャンセルした上で、もともと予約していたウィーン→成田便と無事に繋げてもらえました。価格は2人分で10万円ほどかかりましたが背に腹はかえられません(繰り返しますが、この費用は通常の海外旅行保険では出ません。偶然事故対応費用とか旅行事故緊急費用の特約のある保険なら出るかも)。

それにしてもいつもクレジットカードってシステム自体のセキュリティってどうなのとか思いますが、こうやって電話一本で物が買えるのは、困ったときにはほんとうに便利。

そして、旅程表ですが、内線でホテルのフロントに伝言したうえで、オーストリア航空の東京オフィスからホテルのFAXに送信してもらうことになりました。今だとメールでPDFとかになるのかもしれませんが、2007年当時ではFAXでしたよねやっぱり。30分くらいしてホテルのフロントに行った所、ちゃんと旅程表のFAXが届いていました。

ところで、こんな無茶をしなくても、プラハからベルリンへの便が取れて全体で旅程が組めていれば、もしかしたら「帰国のための渡航書」の条件を満たしたのでは、という意見もあるかもしれません。が、これはトラブルに対する不確定要素を1つ増やすだけだったこと(プラハ→ベルリンの直行便なんてオーストリア航空ではあるわけないため、プラハオーストリア航空のチェックインができないので、仮にこの便がキャンセルになったらベルリンで乗り継ぎができず、やっぱりベルリン→ウィーン→成田の全旅程がキャンセルになってしまう)に加え、おそらく当時だとチェコなど旧東欧の便は旧東ベルリンのシェーネフェルト空港に着き、帰りのオーストリア航空の便は旧西ベルリンのテーゲル空港から出るということで、同一空港で乗り継ぎできない(かなり離れてます)とか、そもそもウィーンでストップオーバーのチケットだったのでオーストリアに入国の必要があるとか、色々と避けたい案ではありました。ということで、結局はこの時できた対処がベストの旅程変更だったと思っています。

ともあれ、これで第一段階のアイテムであるポリスレポートと帰国便の予約を証明する旅程表がコンプリート! なんとか「帰国のための渡航書」での帰国が可能そうです。

続く。